櫛形山は、思いもよらずキャンプとは何かについて深く考えさせる出来事であった。

それは御鶏様がパリッとジューシーとか、そういうことじゃないんじゃないかと、それは物事の一面を撫でただけの表層的な捉え方に過ぎないのではないかと、薄ぼんやりと気づいてはいたものの、しかしそれが何なのかをうまく言い当てる言葉を当時の僕は持たなかった。悶々とした想いを抱え、ある日書店をぶらついていたときに何気なく手に取った書物がその本質を見事に言い当ててくれた。


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鶏を焼き、湯を沸かすときの総帥の真剣なまなざし、場に漂う緊張感、季節と場にあわせて選りすぐられ必要最低限にして十分なミニマムな道具たち、それらを流れるように扱う美しき動き、まさに点前と呼ぶにふさわしい鮮やかな所作。そしてNULの心、果てしなく変態的な数寄道(物欲)。キャンプとは単なるレクリエーションではなく、登山のおまけでもなく、自然の中で食すること・生きることを自ら表現するひとつの総合芸術(&物欲)だったのではあるまいか?
おぉ、台子点前のごとし!


そしてキャンプが数寄道であるならば、なにはなくても道具を買い揃えなければはじまらないのです!まずは唐物ならぬ海外ブランドのクッカーやらストーブやらを一通り揃えるべし。世に言う大名物を血眼で収集すべし、そして最後には自作すべし!


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とにかくUL気取りでなんでも軽けりゃいいとか、宴会オートキャンパーよろしくなんでも持ち込めばいいとか、なんとなくファッションでとか、そういうことじゃないんです!
キャンプ道の心得、まずはここ↓を読むダス!

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話はかわって、”茶懐石“というのがある。千利休が完成させた一汁三菜を基本とした食事の体系であり、現在の日本食や懐石料理やらはこれがベースになっているのだという。

キャンプで何を食するべきか?その考え方にもやはり茶懐石の一汁三菜をベースにしてみてもよいのではないか?と。マルタイラーメンやアルファ米で腹が満たされればそれでいいとか、そんな非文化的原始的退廃的な食事をしてる場合じゃないのです。総合芸術なのですから!
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茶懐石は以下の流れで進む。
・路地で待ち合い、手口を清め、にじり口より茶室に入り、亭主は炭点前を披露、香を焚く
・まず”飯物”と”汁物”、”向付け”と呼ばれる刺身料理なんかの三品がお盆にのせて出される。客が汁物に口を付けた時点で、亭主はお酒を勧める(酒一献)。
・続いて”椀物”として煮物系の料理を出し、酒二献、”焼物”が続いて、途中でご飯のおかわりもする。
・”預け鉢”と呼ばれる炊き合わせ料理を出して亭主はいったん退席。
・しばらくのち、”箸洗い”と呼ばれる吸い物が出てきて、”八寸”(海の幸と山の幸を対角線に配置した酒の肴)が供され、酒三献。亭主と酒を酌み交わす。
・食事の最後に”湯斗”(お湯におこげが入ったもの)と”香の物”でさっぱりとしめる。
・デザートとして”菓子”、そして客はいったん退席
・再び茶室に入り、いよいよ本番の”濃茶”から”薄茶”へ
・道具拝見!
という流れがオプションを加えたフルコースらしいんだが、どこが一汁三菜なんだ?というのは置いといて、キャンプでいかにこれらを実現するか?

現地では水が十分に得られない、塩に加えて醤油や味噌や出汁なんかいろいろと持ってくるわけにはいかない、魚なんかの生ものや形がくずれやすい豆腐なんかも持ち込みにくい、大半が水分の野菜類を担ぐのは重量的にもったいない、食器やクッカー類にも制限がある。
そんな制約条件のなかでいかにしてキャンプ懐石をミニマムに実現するか?ミニトランギアで可能なのか?御鶏様は焼物としての一品に過ぎないわけで、キャンプ食の総合体系化こそが今こそ求められているわけであります。ていうか食べたいのです。誰か作ってくれる人募集。



↑この”風炉”というやつ、炭火ストーブとゴトクと風防が一体化してていいですなぁ。チタンで作ってくれないかなぁ。
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さっき室内で御鶏様を炭焼きして一酸化中毒になりかけました。


