これを前提とするとネットの世界は様変わりするね。
ネット書き込みによる名誉毀損、「限定すべきでない」逆転有罪判決
ラーメンチェーン経営会社を「カルト集団」などと中傷する文章を自身のホームページに掲載したとして、名誉棄損罪に問われた東京都の会社員被告(37)の控訴審判決が30日、東京高裁であり、長岡哲次裁判長は1審の無罪判決を破棄、求刑通り罰金30万円を言い渡した。
昨年2月の1審・東京地裁では(1)利用者が互いに反論可能、(2)情報の信頼性も低いと受け止められている、とネットの特性を挙げ、(1)故意に虚偽の情報を発信した、(2)個人でもできる調査をしなかった、場合に限定して名誉棄損罪が成立するとの新基準を示した。
これに対し、2審判決では「ネット上のすべての情報を知ることはできず、書かれた側が反論できるとは限らない。見る側も、個人の発信する情報が一律に信用性が低いという前提で閲覧するわけではない」(YOMIURI ONLINE)と指摘。さらに「ネット情報が不特定多数に閲覧されることを考えると、被害は深刻になり得る」(毎日jp)と被害者保護の観点から判断を下した。
会社員被告は判決を不服とし、上告する方針。
(街の灯 2009年1月30日)
基本的に名誉毀損というのは、それが真実であっても対象者の社会的評価を貶めることに繋がる内容であれば有罪なのだそうだ。ただし例外があって、公共の利害に関するものだったり公益にを図る目的だったりしてなおかつ真実に相当する理由があればokだということ。対象は私人・一般人だけでなく法人や団体などにも適用される。ハンドルネームであってもある程度人格の整合性がとれていてそれが浸透している場合には対象になるのだとか。ちなみに侮辱罪は、事実もなにもなく抽象的に人格を貶める価値評価を与える行為が対象になるんだと。
特にネット上では匿名掲示板なんかがやり玉にあがることが多く、元?管理人は名誉毀損でいくつも敗訴したあげく損害賠償を払わずにケツをまくっているとか。
しかしどうなのか、なにか物事について評するにおいて、一切の価値判断を加えず、誰かに不利益をもたらすような可能性のある事実も一切言及できず、ということはそもそもムリなんじゃないかと思うし、誹謗中傷とレトリックの境目も見極め辛い。「カルト集団」が中傷なのか?体育会系の企業を評するにわりと一般的な比喩的表現じゃないのか?ていうかさ、見る側は「個人の発信する情報が一律に信用性が低いという前提で閲覧する」んだと思うよ、ネットでは。最近はマスメディアですら信用されなくなってきている。
今の法制度は、ネットもなく情報の非対称性が大きかった時代に強力な影響力を持つマスメディアや大企業に対して一私人を保護するのが意義だったのかとも思うし、今のネット時代の社会環境に当てはめづらくなってないか。某匿名掲示板がおびただしい悪意をふりまいている一方で、マスメディアや大企業に対する牽制力として働いていることも事実だし(板によるが)。韓国みたいに国民番号で認証なんてしてしまうと日本では逆に萎縮して言論や表現の多様性自体が失われてしまいかねないし。
なので、
・法人や団体に関しては、可能な範囲での真実に相当する理由さえあれば公益性がなくとも原則どんな言論も基本的に認めてもいいのじゃないか?(というか実質認められている)。真実性の根拠として明らかな虚偽を捏造するのはクロだが、推測や仮説で述べていることが文脈から読み取れればそれでokじゃないか?誹謗中傷は、しょせん一個人が相手にそういう評価を与えているという事実に過ぎないし誰もそんなこと真に受けない。
・個人に対しては、むしろプライバシー権で保護するべきじゃないか。匿名ハンドルネームに対してだとか、公的な職業上の評価などについては公然と行われてもよいのではないか?(というか実質行われている)
・プロバイダ責任制限法なんかの最低限のトレーサビリティはやはり必要かもしれないし、発言者は当事者からの照会があった場合に真実性の根拠なんかに関してのアカウンタビリティや反論掲載義務なんかも負うべきか。いきなり裁判だけでなく、反論を支援する団体なり、調停仲裁を担う第三者機関なりがあってもよいかもしれない。個人が独力で反論していくのはけっこう手間がかかるだろう。
・総務省的には、ネット言論の規制を強化していくことよりも、むしろ言論の多様性を担保して淘汰のメカニズムを正常に機能させていくことに力を入れていくべきじゃないか。ネットの世界にもマスメディアのように集中排除原則のようなものがあってもいいだろう。Yahoo!JAPANなんかはその対象になってもいい。
