ホーム > Outdoor > 山小屋はそんなに必要なのか・・・

山小屋はそんなに必要なのか・・・


この写真が分かりやすいので引用させてもらう。

pico-8-07923-04.jpg

八ヶ岳の主峰赤岳の写真。年末に行きました。

新参ハイカーの私ってば広々とした稜線上をハイクするのが楽しみなんですけどね、はっきり言ってですね、山小屋ってどうよ!?と思いましたよ。

見てくださいよこれ、手前に赤岳展望荘と奥に赤岳頂上山荘が映ってますけどこんな短距離間に二カ所も。せっかくの稜線が台無しですよ。そもそも赤岳のピークにぶったてる必要あるのかしらん。八ヶ岳は他にも稜線上に点々と小屋が立ち並んでますけど、これって景観的に最悪だと思うのは私だけですかねぇ。南アルプスの北岳近辺もこんな状態だった気がする。

山の景観を楽しみに行くのがそもそもの目的だったはずなのに、その景観を壊してしてまで快適とか安全を求めるってすごく本末転倒というか矛盾している気がするんですよね。それが現代文明社会に住まう人間の業というものでしかたがないのでしょうか。でもそれならばそんな業に触れるためにわざわざ出かけたくはない。

しかもカレーとかラーメンとか牛丼とかってどういうセンスよ!?と(笑)。なぜに山に来てまでそんな俗にまみれたものを食べたい??まぁ食べたけどさ。どうせならコトコト煮込んだシチューとか、焼きたてパンと自家製チーズとか、そういうメニューにしてほしいねぇ。カルボナーラでもいいかも。

いや話がそれた。

万が一のときのための避難小屋とか、環境へのインパクトを少なくする為のトイレ設備とか、最小限のものは仕方ないとして、基本的に森林限界上の営業小屋ってなくしてもいいんじゃないかしらと思う今日このごろであります。結果、人が少なくなるならばそれもまたよし。

いずれ近い将来、国内のフィールドに失望してしまうときが来るのだろうか。それとも、こういうものを見たくないがために低山ハイクへと移行していくのでしょうか。

広告
カテゴリー:Outdoor タグ: , , ,
  1. 2009-01-05 23:06

    おおーすごい。気持ちいいぐらい正論ですよ。
    きっと海の家とかも同じ法則が当てはまるんでしょうね。
    静かな海辺でたそがれたい人の気持ちも知らず、
    わんわんうるさい音楽鳴らすのは勘弁してほしいものです。
    まぁカレーもラーメンも食べるけど。

    奥多摩も私が歩いた寂れた方面はよかったですよー。
    10時間ほど歩きましたが、出会った人は4人でした。
    鹿はもう少し多くて5~6頭。低山でお待ちしてます。

  2. wander-z
    2009-01-07 00:28

    まぁ国内でひととおり歩ける自信ができたら、年に1〜2度くらいは海外のロングトレイルに行きたいんですよねー。たまの週末はやはり奥多摩か。そういえば冬は行ったことがない。今シーズン中に一度行ってみますかな。

  3. 2009-01-08 09:49

    はじめまして、「山道具道楽」管理者の理事長と申します。
    私も、基本的には営業小屋・避難小屋を含め「山小屋など無い方が・・・」という意見に賛成なのですが、現実はそう単純に結論は出せないという事も理解してもらいたいと思います。
    私自身、小屋のおかげで文字通りの命拾いした事もありますし、遭難救助のベースとなる山小屋が無かったら県警の山岳救助隊の活動も機能しません、また大きな小屋の山岳常駐隊や夏季診療所のおかげで助かった命も数限り無いはずです。
    また、何より大部分の登山道の維持(刈払い・橋や桟道の維持・道標やマークの管理・・・etc.)をしているのは国や自治体ではなく、営業小屋の小屋番・スタッフさん達であり、小屋によっては仕事の半分が登山道の維持と言ってもいいような場所もあるのです。
    営業小屋の登山道維持が無ければ、おそらく3年もほったらかしにしていれば日本の登山道の半分はハイカー程度の装備や技術では通過不能になってしまうでしょう。
    つまり、山から小屋が無くなると、沢登りの詰めの藪こぎのように現在のコースタイムの数倍の時間を掛けて自らルートを切り開き、幕営時に往復2時間掛けて水場を往復し、自分の大小便をバッグに入れて持ち歩き、万が一の遭難時には死の危険性を担保して山に行く覚悟が必要だと言う事なのです。

    難しい問題ですが、事象を単純化せず広い視野で考えていきたい問題ですね。  では!

  4. wander-z
    2009-01-08 13:46

    うは、あの「山道具道楽」の理事長さまですか。いつも楽しく読まさせていただいておりますです。コメントいただき恐縮であります。

    山小屋の問題は、もちろん景観どうこうだけじゃなくて安全性や快適さ、山へのアクセシビリティなどいろんな人のいろんな想いや価値基準が複雑に入り絡み合っているのでしょうね。人命と景観のどっちが大切かとか、たとえ景観が素晴らしくても山に行けなければ意味ないじゃないか、とか。まぁ程度の問題ではあるとは思うんですけどね、でもここはあえて「安全より景観が大切」と言い切ってしまう人があらわれてもいいんじゃないかと(笑) ここではあえて「環境」については触れませんが、ややこしくなるので。

    例えば登山者の安全のためにという理由で山頂まで舗装路を設けてヘリポートを作って電線を張り巡らして診療所とコンビニと吉野家をぶったててなんてしたらやりすぎだというのは誰もが共通の認識だとは思いますけどね、それと同じくらいあの赤岳の山頂小屋には醜悪なものを感じたのですよ。まぁ景観をどう感じるかは主観の問題なので正しいとか間違っているとかはないですがあくまで個人的にはということで。

    自然環境へのアクセシビリティについても、やはり山頂の景観を破壊してまで維持すべき価値かと言えばそうではないと思いますし、むしろ最近はアクセスを良くしてしまうことが負の価値を持ってきてしまっていますよね。かつては、すべての人が自然と身近にふれあえることが社会的価値だったのでしょうけれど。これも程度の問題ですけどね。山道が半分になるのはむしろいい面も多いだろうし、無理して危険なところを目指さなくても行ける範囲で楽しむだろうし。道標もね、赤いペンキでぐじゃーっとペイントするのはどうかと思いますよ。GPS持てば道標も必須じゃないですしね。むしろグーグルマップみたいなサイバー地図上の道標なりルート表記なりトレイル向けナビゲーション機能を整備しろと、そして国土地理院なり山と高原地図はモバイル向けデジタル地図サービスを実施してくれりゃいいのにと、そして3G電波をすべての山域にくまなく飛ばせと、それであれば景観も影響されないし(笑) あ、基地局ぶったてないといけないか?

    今現在、山の環境・安全を維持されている方々の仕事は当然リスペクトすべきことですけどね、それと今後どうあるべきかという問題はやはり別ものだと思うんですよね。

    まぁとはいえすべての山小屋を撤去しろなんて暴論を言っているのではなくて、景観には少なくとも配慮しましょうよと。そしてまずは森林限界上での営業小屋をやめるのはどうですかね?という他愛もないアイデアでありますよ。適所に雨風をしのげる避難小屋程度のものがあれば安全性でも大勢に影響はないんじゃないかと。八ヶ岳も、森林限界下の行者小屋とか赤岳小屋とかオーレン小屋があれば、あえて稜線上にぼこぼこ小屋を作らなくてもいいじゃないですかと。数百メートル下ればたどり着けるんだから。

    それとも、「ステルス山小屋」みたいな新しい画期的な建築手法とかできないかしら・・・!?地下を掘るという手もあるかも。

    そうそう、小屋泊を前提とする山行はむしろ危険じゃないのか?と考えたこともありますよ。計画やルートに縛られて無理してしまったり、食事やビバーク装備を省いてしまったりして。

  1. No trackbacks yet.

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。