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山は本当に危険なのか?(3)

2009-01-21

ようやく仕事は一山越えたのでいろいろと物議を醸したこちらの問題をまとめておこうかと。

安全問題について、某氏のブログのコメントによると結局あちらの方面ではしごく”まっとう”な優等生的な結論に収束したのかと思うと何をか思わんやという気もしないでもないのだがそれはさておき、生来登山の経験が皆無であることはおろかスポーツ全般が大の苦手で平均的な運動能力にも乏しいにも関わらずいきなり冬期単独で森林限界上を歩くような山行を始めてそれすらまだ一年の経験しかないというかその七割方は途中で撤退して温泉旅行に切り替えちゃったりする軟弱っぷりのまったくもって支離滅裂な大迷惑ハイカー(そしてそれは一般的にULと言われるスタイルとはまったく関係がないことは断っておく)であるこの私がどうして統計的な数字遊びを持ち出してまで山の危険度合いを推し量り、登山カルチャーにおいて常識化した安全観念に対して挑発的に疑義表明をしてみたりするのか?まずはその違和感の正体について整理しておこうと思う。

私のように、そういういわゆる非常識と指弾されてしまいかねないアプローチで山行を重ねるには生死の危険に陥るようなリスク対策にはどうしたって神経質にならざるをえないわけで、諸々の文献にあたりネットを徘徊し情報を集め装備の一つ一つに想いを巡らし自分なりの対策を行っていくしかないわけなんですけれども、それでもやはり十分な安全マージンが確保できたという確信に至るわけもなく、日々自分の山行をイメージしその危険におびえ頭を悩ませ夜も眠れず身悶えもんどりうって深く暗い妄想の森のなかに迷い込んで抜け出せないまま苦しみ続けたりせずにはいられなかったりもするわけですよ。

例えばですね、滑落や転倒が警察庁発表の遭難理由の二位三位にあげられているにもかかわらず、どうして一般登山者はみなヘルメットを着用しないのか?膝当て肘当て脛当てなんかの対衝撃サポータをどうして着用しないのか?稜線上の危険な岩場を通行するのであれば鎖に手をかけたって滑って落ちる可能性も十分あるわけなのにどうしてロープを張ってハーケンを打ち込み安全管付きカラビナで自己確保をして滑落防止に務めることを必須としないのか?どうしてその場面ではクライミングシューズに履き替えないのか?単独であればソロクライミングの登り返しの要領で一往復半するべきなんじゃないのか?経験のあるベテランであればほとんど滑落や転倒をしないか?いやそんなことは決してないと過去のケースは表している。しかもそれだけの過剰な対策をしたからといって”安全マージンが確保できました”なんて言えるのかというといいやそれでも100%の安全はありえない。

なぜAEDや酸素ボンベや無線機を担いでいくことが山の必須の常識とされないのか?冬期であれば雪崩対策の三種の神器なんかと言って崇め奉ってビーコンとスコップとゾンデを持って行けと人は言うが、どうしてBlackDiamondのアバラングだったりあるいは雪崩対策用のエアバッグだったりは”常識”の中に入れてもらえないのか?エアバッグも今や10万円も出せば海外から個人輸入できるわけで救助ボランティアの方々の苦労に想いを馳せればそれくらいの出費は冬期山行者にとって最低限のマナーの範疇じゃないのか?それにしたって「雪崩リスクマネジメント」を紐解いてみても雪崩は結局どのような場面でも起こりうる可能性があるわけで完全にそのリスクから逃れられるわけでもないと言われ絶望してみたり、昨年、槍ヶ岳付近のテント場で就寝中の雪崩事故があったが、そうするとテントで就寝中はビーコンを発信モードにして常にアバラングを口に加え片手にナイフを開いて握ったたまま眠るのが正解か?などと妄想してみたり。いったい今常識とされている様々な安全観念にどれだけのまっとうな理由なり根拠の筋道がつけられているのか、あらゆる情報をたぐってもまともな説明は見つからないわけですよ。

ようするに、企業のリスクマネジメントにおいても同じなんだけれども、可能性として想定されるすべてのリスクを洗い出してそれぞれに対して完璧に安全マージンをとるということはコスト的に見合わないばかりかそもそも不可能なわけだし、対策をとるのであれば発生度と影響度で評価した優先度の高いいくつかのリスクに集中したほうが効率的でもある。それはすなわち、”それ以外のリスクについてはあきらめる”ことに他ならない。そういえば「バックパッキングとは、何を持っていかないかという策略のことである」と高らかに唱ったのは誰だったか?

そして今現在登山の常識とされている安全観念については上に述べたように合理的な説明すらつかない解答だってところどころに蔓延しているのだけれども、それはようするに快適さや身軽さ、経済性、わずらわしさなんかとのバランスで安全マージンを差し引いてある種のリスク対策を”あきらめてしまっている”わけで、安全対策を怠る事自体が批判されるようなことだとすれば今の常識だってその矢面からは逃れられないように思ってしまうし、現実がそんな状況であるのに先人の智慧をうんぬんだとか、経験を積んでかんぬんだとかと言うのは、問題をうやむやにしているだけでなんら生産的ではないばかりか人の思考の機会を奪う害悪ですらあるし、いわゆる”常識”をあがめて教条化してまずはそれに従っておけばよしとするのはそれで社会的批判を免れ心の平安を得ることはできてもつまるところ安全が得られたということにつながるわけでもなかったりするんじゃないかと。

ようはリスク対策を施すのであれば、自分が”どこまでのリスクをあきらめるのか?”について意思決定をしなければいけないし、自分は”どのリスクをあきらめたのか?”を知っておく事がとにもかくにも最低限必要だ。というか、そもそもつまるところそれぐらいのことしかできないのだ。そのためには、世の一般的なスタイル、先人が築き上げた様式が”あきらめてしまっているリスク”についても批判的に考察しておく必要があるし、えいやと思い切ってラインを引く為には統計的鳥瞰的な視点での優先度の評価もしてみないと判断も難しい。世に常識とされる装備をしていけばそこそこ安全なんだろうと言って”自分があきらめたリスク”についてすら把握しないままの状態こそがまさに危険だったりしませんか?と。”十分な安全マージン”なんて存在しないんだとしたら。

ものの本の中で、ライト&ファーストのアルパインスタイルの第一人者であるクライマーの山野井泰史氏は、困難を極めたギャチュン・カンの登攀において足指の凍傷に見舞われ切断の憂き目に合い、プラスチックブーツの上にオーバーシューズを履いていた妙子氏は大丈夫だったという自身の分析の下りがあるが、泰史氏はその問題を次への課題とは認識していても、自身の蒙昧さや愚かさを悔いて責めたりしている素振りはまったくない。ようは”自分があきらめてしまっているリスク”を十分分かっていて腹の中に落ちているからなのではないだろうか。このことはその常識から逸脱したスタイルで安全面での批判の矢面に立たされることの多い「サバイバル登山家」の服部文祥氏にも当てはまるのだと思う(UL系の先行的なハイカーの方々に対しても当てはまるだろう!)。そして我々一般ハイカーや初心者であっても、やはりそのリスク・ディフェンシブ・ラインは人から与えられるような性質のものではなく、つまるところ自分自身で引かなければならないわけで、そのためにはいわゆる安易なハウツーや教条の押しつけだけじゃなくてその結論に至った思考プロセスをちゃんと共有してよ!と(UL系の方々がされているように)。そうじゃないと正直何の役にも立たない。

で、山が本当に一般によく言われるように普段の生活圏とは比較にならないほどの”危険に満ち満ちた魔境がごとく人を取って喰らう極限領域”なのだとしたら、今現在言われている常識的な装備や安全対策はまったくもって抜け穴だれけでどれも不十分で、もっともっと水も漏らさぬ完璧な重装備が必要だし、それは私にとってはもう山には行かないという意思決定に繋がることを意味するし、それとも山というのは実はそこそこの”遊び”は許されるくらいの緩やかでやさしくときに厳しさも突きつけられたりはするけれどもやはりそれは不運として受容するよう腹をくくれる程度のものなのか、ということを判断しなければならなかったと。その判断の一材料として、まずは統計上の数字を弄んで比較してみましょうかと。

ふー、長くなった。が、ようするにそういうことです。

で、かんじんの数字的な比較分析ですが、前回までの経緯から”死に至るリスク”で平準化すべしという話だったと思いますけれども、自分なりにいろいろと調べて数字を弄んでみましたけど、あえてここで公開するのはやめておこうと思いますよ。まぁ係数の取り方次第でいろいろ見えてくるものも違いますし、ある種の方々を逆なでして物議をかもしていただくフェーズも過ぎたと思いますし、知りたい方は自分ですぐに調べられる程度のものですから。リクエストが多ければ考えますが。

そうは言ってもオチをつけなければいけないわけで、代わりと言ってはなんだけれども今のところの自分なりの妄想の産物である山の安全に係る判断基準をここで明文化して整理しておこうと思う。

「山の安全に関する自家製ガイドライン」

(1) 山は危険の巣窟ではない

あなたが明日山に入ったからといってすぐにも生命の危険にさらされるような恐るべき場所ではないのでまずは安心してほしい。「山は危険だ」と漠然としたイメージを抱えて怯えるだけで結局何も自分で考えずに人から言われて一揃えした重たい道具を担いで漫然と山行することこそが実は一番危険なことだ。

(2) 仮説を持つ

山には具体的にどんなリスクが存在するのか?まずは自分のなかで仮説を持つことから始めよう。道迷い、滑落、転倒、寒さ、疲労、熊との遭遇。いろいろとあるが、複数のソースをあたって情報を収集して参考にし、自分の山行と重ね合わせて具体的にイメージできればよりベターだ。洗い出したリスクは自分なりのリストを(頭の中に)作り、山行のたびに新たな課題を見つけて改良していくべきだ。そしてリストの最終行には「想定し得ないリスク」を付け加えよう。それでMECEだ!

(3) 集中する

すべてのリスクに完全に対処することはできない。優先度の高いリスクについて集中的に対策を講じよう。パレートの法則によると、2割の重大なリスクに対処すれば8割の安全が得られる。優先度を評価するときには、そのリスクの発生頻度だけではなくそれが発生した場合の致命度の高さも勘案する必要がある。その評価も、種々のソースをあたって他者の経験を参考にしつつ訪れる山域やスタイルに応じて自分なりに行うしかない。

警察庁の発表によると遭難理由の3割以上が「道迷い」であるし、「ドキュメント道迷い遭難」によると「道迷い」を経て「滑落」や「転倒」に至った二次災難のケースは「道迷い」にカウントされていない。だからあなたがまずは「道迷い」に対して重点的に対策を講じるのは理にかなっているだろう。

(4) 自分が”あきらめたリスク”について知っておく

あなたがどれかのリスクに集中したのだとしたら、それ以外のリスクについて”あきらめてしまっている”ということも頭に入れておかなければならない。そうでなければ重大なリスクを見落としてしまっている可能性がある!もう一度リストを見直そう。少なくとも、”自分は十分な安全対策ができた”などと思い上がってはいけない。

(5) 予防と対処

あなたが集中すべきと決めたリスクについては、それを避けるための”予防策”を講じるだけではなく、万一事故に合ってしまった場合の”対処策”についても検討をしておこう。一般的には、ファーストエイドキットや連絡手段の確保、防寒対策やビバーク装備、水と食料の確保などがそれにあたる。他の人がどんな対策を講じているのか?より有効な道具が開発されていないか?についても情報をあたってみるべきだ。

(6) 見極める

たとえバーナーの火がつかなかったからといって、不意にストックが折れてしまったからといって、一晩寒さに震えて過ごしたからといって、すぐにも生命に危険が及ぶような状況に陥るわけではない。”苦しい状況”と”危険な状況”をなるべくごっちゃにせずに、あわてず冷静に対処しつつも自然とはそういうものだと受け入れて楽しんでみるのも選択肢のひとつだ。そのためには外的なストレスによって判断力の低下を招かないように、防衛体力(Mental and Physical Endurance: 精神的または肉体的な持久力)を高めておく必要があるかもしれない。

もしもあなたが運悪く一刻の猶予もない生命の危険に見舞われたなら、落ち着くいてじっくり考えるよりも、その状況から逃れるために必死にもがくことが有効なケースがあることも頭に入れておこう。

(7) 道具の選択

安全のために最も正しい道具は何か?例えば靴に関して考えてみると、革製重登山靴にプラスチックブーツ、トレッキングシューズ、ランニングシューズ、長靴に地下足袋と本当にいろいろな靴が使われているけれども、あなたは果たしてどれを履いて山に行くべきなのだろうか?それぞれに一長一短があって意見も分かれておりベストプラクティスは今のところ存在しない。なのでどれを選択するかはあなたの自由だ!さらにはその道具を選択した場合のメリットとデメリットを頭に入れておけば、より有効に使いこなす事ができるだろう。

少なくとも「3000m級は重登山靴、低山はランニングシューズでも可」といった無意味なカテゴライズに従って思考停止してはいけない。それはなぜなのか?について具体的な理由を求めよう。

(8 ) 自分の立てた計画に縛られない

人は自分の発した言葉や自分の立てた目標に縛られる生き物だ。そのおかげで文明は発達できたし日々経済成長も続けている。計画を修正することは自分の無力さを受け入れることでありそれは精神的な苦痛を伴うこともあるかもしれない。山頂に到達することを目標にするとそれをあきらめることは敗北を意味することになってしまうし、山小屋を予約したのに無断キャンセルしてしまうと管理人に迷惑がかかってしまうのではないかと気が気でない。そして自然のなかで無理に自分の行動を制約すると事故に合うリスクは高まってしまうだろう。

体力の低下を感じたらペースを落とし、難しい局面にあたったら無理して強行せずに軽やかに計画を修正し、常にエスケープルートを思い描きつつ、時には登山口で気分が乗らないからと言って引き返してしまってもいいのではないだろうか?せっかくの休日を自然のなかで過ごすのだから、目標に縛られるよりも”自由でいられること”にこそ価値をおいてみてはどうだろうか?

翌日の仕事を無断欠勤することも、安全のためには致し方ない事だ!\(^o^)/

(9) 単独行か?パーティーか?

単独山行は危険なことだとよく言われる。それは万一事故に合ってしまった場合の救助の観点からは正しいかもしれない。一方で、パーティー登山の危険性も本田勝一の「リーダーは何をしていたか」をはじめとして古くから指摘されておりその数は枚挙に暇がない。

チームマネジメントの観点から言うと、人数が増えるほど意思決定のためのコミュニケーションコストは大きくなって局面局面での判断は鈍ってしまうし、「責任量保存の法則」によれば、人は誰かと一緒にいると協調的になって責任を人に委ねてしまいがちになる。なので事故に遭うリスクの高さはパーティーのほうが高いのかもしれない。

だから、たとえあなたに友達がいなかったとしても一人で山に行く事をためらう必要はない。

(10) “経験”に頼らない

経験を積めばより安全に山行することができるようになるだろうか?はっきり言おう、その答えは”否”だ!

人は自分の過去の成功体験に縛られる生き物だ。経験神話こそまさに多くの企業が衰退し人間が成長を止める最大の要因の一つだ。生物の進化においては環境に過適応し変化を止め多様性を失うとあとは絶滅へまっしぐらだ。そして人がどれだけ山行を重ねようとも一人が一生のうちに経験できる”危機的状況”の数は極めて限定的だ。

[1.24追記] 体力や運動スキル、目標達成のためのストラテジーなどは反復的な実践とトレーニングによって向上できるだろう。しかし安全確保のためのリスクマネジメントはそれらとはまったく異なる性質のものだ。自分のおかれた状況と持てるリソース(体力やスキル、知識、装備など)を把握し、局面局面においてどう意思決定を下していくかというプロセスこそがリスクマネジメントなのだから。

[1.24追記] ベテランであれば事故は少なく安全だというデータはどこにも見つからないし、古き良き”山岳会”に、知られざるリスクマネジメントの秘術などが眠っているわけではない。たとえ初心者であろうとそこには「予知し得ないリスク」があるという”無知の知”を前提に判断を下していくことでリスクマネジメントは十分機能するはずだ(”撤退”という判断を下すことが多くなるだろう!)。

大切なのは自分(やベテラン)の経験を妄信しないことだ。常に多くの人の声を参考にし、情報収集に務め、異なる考え方をも吸収し、まったく違ったカテゴリーの理論や方法論なども積極的に学んで取り入れることを心がけるべきだ。そして”自身の経験”さえも参考のひとつに留めなければいけない。

もう一度言おう、経験を積めば安全が得られるだって?そんなバカな!

(11) “常識”を疑う

いま常識となってしまっている数々の安全神話を疑ってみよう。先人の智慧として崇められている方法論が、実のところ”あきらめてしまっているリスク”についてチェックをしてみよう。スタンダードは時代とともに変化していくわけで、今の常識も次代の非常識となるのは必定だ。そんなべたついた空気のような”常識”を無批判に受け入れてそれを根拠に他人を指弾しようものなら末代までの恥さらしになりかねない。それはまさに、日本の山岳黎明期にあって当時の常識に叛旗を翻し自らのスタイルをその仮説検証のプロセスのなかで確立した加藤文太郎の精神に反することだ。

(12) 教条化しない

このガイドラインを教条化して信奉する事自体がこのガイドラインの思想に反する。あくまで参考の一つに留めるべきだ。そしてあなた自身のガイドラインを作ろう。

(13) 得られる効果

これらのプロセスや考え方に従ってしっかりとリスク対策を講じたならば、おめでとう!あなたが山に行って遭難するリスクは0.01%は下がっただろう。[1.24追記] 統計的観点から言えば、あなたが明日山に入って事故に遭う可能性は極めて小さい。だからリスクマネジメントの効果もその労力に比して得られるものはわずかばかりでしかない。

[1.24追記] とはいえそこに100%の安全があるわけではなく、自然はときに、人一倍正しく安全対策に取り組んだ正直者に死の厳しさを突きつけ、まったくリスクに無関心で不用意な者に微笑みを向けてくれたりするそんな非情で不条理な存在なのだ。つまりあなたが”あきらめたリスク”に対して一歩を踏み出す意思決定をしたならば、最後は腹をくくって十字を切り「ママー!」と叫びながら進んでいくしかないだろう。

[1.24追記] そして初心者であれベテランであれ、リスクを想定する作業を怠り”経験”を過信し他者に頼り腹をくくらないまま事故にあってしまったなら、そのときの後悔は大きいかもしれない。

(14) 楽しむ

とはいえ人生は短い。わずかばかりの効果を得るために堅苦しく正しいプロセスに乗っ取ってリスクマネジメントに頭を悩ませ無為な論争に時間と労力を浪費するよりも、そんなことは心の片隅に置いといて素晴らしいハイキングを楽しもう!Let’s enjoy!

と、今のところはこんな感じかな。これだけ吐き出したら寝付きもよくなるだろうか。

それにしても、こんな長文はもう二度と書かないよ。次からはゆるゆるブログに復帰します。

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  1. 2009-01-22 00:05

    長文お疲れ様でございました。
    私のような俄ハイカーにとっては、大いに説得力のある論述でした。

  2. 2009-01-22 10:05

    こんにちは。経験と安全の関わりは、注意深く読ませていただきました。
    一点感じたことが、経験がイコール、仮説と検証のプロセスであり、
    毎回のフィードバックが適切にループしているならば、
    決して万能ではないとしても、安全マージンを「見切る」ことになると思います。
    ただ、ご指摘のように、経験の蓄積が思考停止を生むのであれば、
    逆に経験は足枷になってしまうということですね、納得。

    同感なのは、ステレオタイプなリスク設定には一定の道理がある
    (たとえば、ですけれど、夏の稜線の午後の雷とか)
    そのリスクへの対応方法などが議論停止になっているような状況は
    いかがなものかと思っています。そう、教条化しない、これですね。

  3. 傍観者
    2009-01-22 10:55

    とはいえ、そうやって煽っていても意味がないと反省。

    以下、トータルで気になった点。

    「経験の蓄積が思考停止を生む」という理解についてだが、言葉足らずではない。経験を蓄積した人の知を、経験が全くない無知者が鵜呑みにするということにおいて、「思考停止状態」といえる。

    これは山に限らず、世の中、あらゆることにいえる。

    ULといわれるものにしても、こうやってブログ等にアップして溜め込まれる知が、いずれは、経験の蓄積知となる。すると、それを思考停止して鵜呑みにする無知者が必ず現れる。「自分で考えろ!」という前提の知だとあなたは言うだろう。しかし、無知者はそれをあっさりと無視する。

    現に、今、スタンダードと想像されている山行の安全概念についても、実は一定のものなどなく、経験者は誰しも「ケースバイケース」と考えており、「黙って鵜呑みにしろ」などと言わない。「自分で考えることの大切さ」を説き、「経験してスキルを身につけるべき」と口すっぱく言う。だけど、思考停止者は無視する。そして事故を起こして迷惑をかける。

    他方、今、あなたが取り組んでいることも同じことといえないか。どんなに新しい概念だとしても、出発点は、それは結局はあなた個人の考えと経験でしかない。しかし、経験をつんでいくことでより洗練されていく。そして、いつしか、そうやって蓄積されていくことで、他人が見ても参考に値する知となっていくだろう。ぜひ、たくさんの経験を積んで、あなたの仮定する概念を洗練していってほしい。

    しかし、たくさんの人が参考する知と育った時、「鵜呑みにする馬鹿がいる」「思考停止を生んだ張本人だ!」などという批判(筋違いに見えるが、あなたの批判スタイルにとても似ている)は必ず出てくる。

    なぜなら、思考停止者はどの時代にもいて、どのスタイルの中にもいるから。あなたの蓄積知についてもそう。鵜呑みにする馬鹿がいる。「思考停止の知」などとレッテルをはる人も出てくる。たいてい、そういう批判をする人は、経験が浅い人が多い。でも、浅いからこそ、既存の概念にとらわれない発想を持てる場合もあり、そうした確信がさらに批判を強めることになる。

    あなたはそうした批判をどう受けとめるのだろう?

    賢者として、蓄積した知をあっさりと怖し、再構築することができるだろうか?たぶん、無理だろう。なぜなら、その批判者は、その知の背景にある、あなたが何年もかけて積み上げてきた労力、時間、苦悩を想像することができないから、まったく配慮のない表現で攻め立ててくる。中には、経験不足からくる浅い発想も見え隠れする。

    だからあなたはこう答えるだろう。「まあ、いろいろと経験してくれればわかるよ」とか「あまり甘くみないほうがいいよ」とか。するとその人は、言うだろう。「既得権益に浸った奴は、かならずそういうんだよ。そうやって思考停止を加速させるんだ!」と。

    自分という立場を除外して考えるのはアンフェアである。せっかくの新鮮な視点、ムダにするのではなく、健康的な変化をもたらすように、努力してほしい。

    それには、自分と他者の間にあるものを想像すること、が大事だと思う。

  4. 2009-01-22 19:03

    こんにちは、何故か山に迷い込んでしまいました。yacht乗りです。
    海は危険です。気を抜けばすぐ遭難・・特に夜間・・出かける時は、ちょっと怖い。
    恐いから、いろいろ考える、考えて行く、恐い目に遭う、帰ると安全なベッドで
    恐怖心が倍増する・・あの時・・もし判断が誤っていたら・・ここにいない・・
    しかし何で、また出かけるのだろう?・・あんなに恐いのに・・愚か者か?馬鹿か?アホか?
    真剣に考えた・・日常安全すぎる平和に対して、危険に対する緊張感が・必要なのだ!
    そうだ!人間は、一番退化した動物なのだ!自然の恐ろしさ、怖さ・・の緊張感を
    動物として、失ってはならないな・・・どんなことが有っても自力で帰らないと・・。ですね。

  5. 2009-01-22 21:17

    Hi…

    I cannot read in Japanese word but I will learn it..

    Ganbatte Kudasai..

    Hajimemashite watashi wa Bocahbancar desu..

    Watashi wa Indonesia kara kita..

    Douzo Yoroshiku Onegaiitashimasu..

  6. wander-z
    2009-01-22 22:27

    > kimatsuさま
    いえいえ敬愛するkimatsuさまの足下にも及ばないこちらこそ俄ハイカーのとりとめのない戯言です。
    でもkimatsuさまにいただいた視点も盛り込んだつもりです。

  7. wander-z
    2009-01-22 22:47

    > いまるぷさま
    よくぞそこに目をつけていただきました。いやーお目が高い。そこはまさに諸説出てきてほしいところですね。

    筋力・体力をつけるとか、神経系を鍛えるとか、運動的なスキルだとかは実践やトレーニングを重ねると効果は高いのでしょうけどね、安全対策はそういうものとは別物じゃないかと。例えば外部の情報を一切遮断して自分の経験のみで誰からもフィードバックを受けず、というような状況を想定すると、どこまで安全対策を洗練できるかというとやはり厳しいと思うんですよね。まぁ加藤文太郎みたいな変態的天才は別として。

    なのでいまるぷさまのおっしゃるとおり”経験”でできることと言えば、学習した知識がどれだけ役立ちそうかなんとなく現地の空気で量ってみる程度のことくらいじゃないかと。

    まぁ”経験経験”とことさら口にするのは、初心者に対して自分たちの推奨する方式が実のところ”あきらめてしまったリスク”を覆い隠したり逃げ口上として使ったりする場合にはとても便利なマジックワードだからなんだと思いますよ。

    ていうかですね、
    みなさん笑うとこr、、、最後のほうとか、あれ?
    牛乳とかブホーっと吹き出してPCにぶちまけていただけるかと思ってたんですけどねorz…

  8. wander-z
    2009-01-22 23:45

    > 傍観者さま
    前のコメントは他の方への中傷が含まれていたかと思いますので削除しましたよ。まぁ中傷をするなとは言いませんが他所でやってくださいませ。ていうかですね、そう何度もしつこくポストして来られると正直気持ち悪いというかうざいですよ。どこまで”かまってちゃん”なんですか!?
    まず”自分と他者の間にあるもの”ですとか、前のコメントにあった”敬意”だとかについて。悪意の吹きだまりのようなところで他人の表層をあげつらって喜んでおられる方々がそういう言葉を掲げてヒステリックに押し掛けてくるのがなんとも滑稽と言いますか、まぁそういうユーモアを引き出すための意図的な仕掛けですので、そういうものとしてご笑納いただければ幸いですよ。”そうした批判をどう受け止めるのか?”と言われてもですね、いやー、ご自身たちでまずはそういう他者を慮った表現をされるように心がけてですね、そういう表現のあるスレはすべて削除依頼を出してからコメントしに来ていただけると話も早いかと思いますよ。いずれにしろ他意はございませんので。
    “経験”については上のコメントを読んでね。”自分で考える事の大切さ”だけを説いてどうやって考えるのかその方法論を提示せず、そして”経験してスキルを身につけるべき”と逃げ口上を打って尻をまくるのがいかがなものかと言っているのですよ。それじゃ初心者はどうしていいのか分からんって。
    重ねて断っておきますけれどもね、私はULではありません。ULの倍は荷物を背負っていきます。ですけどね、ULは”その結論に至ったプロセスを共有すること”、”そのプロセスを各々が実践すること”にこそ価値を置いているところが有用だということです。
    リテラシー論についてはそれだけで本の二三冊が書けてしまうのでここで論じる気はさらさらありませんが、いずれにしろ”鵜呑みにする馬鹿”なんていませんよ、そちらの界隈にしか。国内のブログもはや1600万にも拡大している今日、個人ブログのなかのひとつの記事で消費者被害が発生した事例なんて金輪際耳にした事はないですしね。典型的な分散型メディアですし、検索来訪がメインなので能動的な情報ニーズがあって来ている人が大半なので、そのような方々は複数のソースに必ず目を通しますしひとつのブログを鵜呑みになんかしませんよ。
    むしろリテラシーに気を使われるのであれば、まずはそちらの界隈を閉鎖されるのが効果的でしょう。ラウドマイノリティーの表層的な暴言の吐き出し合いを助長するそのインターフェースが知能の低下した情報弱者を生み出す温床になってますからね。
    でね、新たな視点だとか対案だとかを集合知のプロセスで作り出して提示してくるわけでもなく、他の板のようにブログの一つや二つをひとおもいにもみつぶすほどの迫力があるわけでもなく、正直言ってもう飽きましたよ。今後はあまりお相手はできませんので悪しからず。

  9. wander-z
    2009-01-23 00:14

    > AriStoCraZyさま
    ようこそはじめまして。
    海ですか!それはまったく山とは違って恐るべしブルブル。。。
    安全対策もまったく違ったアプローチが必要な気がしますね。
    太古の昔に太平洋の海原に漕ぎ出していったミクロネシアンのチャレンジャーっぷりを想うと心が震えますよね。
    どうぞご自愛を。。。

  10. wander-z
    2009-01-23 00:30

    > bocahbancar
    Hi, thanks for visiting to this blog!
    I’m very happy to know about your wonderful blog! and I miss understanding Indonesian…
    Are you living in Japan?
    KOREKARA MO DOUZO YOROSHIKU ONEGAISHIMASU!

  11. kosyu
    2009-01-23 12:36

    始めまして、kosyuといいます。
    必らずしも経験を第一原則としないという意見、山で
    は死やその他重大な事故が起こりやすいと思ってましたので、
    なんだか、始めは違和感を感じておりましたが、読み返して
    みて、なんでも自分で考えてみるという態度こそ大事だなと思いました。
    これからwander様も、いろんな批判があったりするかもしれませんが、
    ご自愛しつつ、既存の常識にとらわれない意見を展開して欲しいと思います。

  12. まーみぃ
    2009-01-23 16:39

    はじめまして。
    私自身、まだまだ経験不足、勉強中の身です。
    wander-zさんがおっしゃるとおり、他者の経験の情報に頼りきってしまう危険性を常に意識したいと思います。
    でも、こうも思いました。何というのでしょうか。
    適度には「頼りきってしまう」という怠惰な部分をもつのもありなのかなと。
    こんなこというと怒られるかもしれませんが、
    自分の身だけでは、あらゆる検証や想定はできません。
    単純に、効率が悪いと思うのです。お金も時間もかかるし、
    また、必要のない体験、リスクが増えると思うからです。
    例えば、「白馬敗退」の記事を読んで驚きました。
    小さい頃に少しすべったというだけで、山スキーの経験もない。雪山の経験も少ない。
    そこで、新しいスキー器材を、実践に使う。しかも、前日に練習のみ。
    天候にも左右されたと思いますが、結果は、うまくいきませんでした。
    警察庁発表の遭難理由の多くが「滑落や転倒」という記事を上げられていましたが、
    中途半端にうまくいかなくて逆によかったのではとも思いました。すいません。
    というのも、それなりに滑って、天気もよくて、高度をあげて、そして転倒事故というリスクが高かったと思うからです。
    私のレベルでさえ、このように予想してしまうほどです。
    たぶん、少し経験のある人であれば、やはり何らかのちがう手法を示されたと思います。
    私であれば、まずは怠惰にそうした意見に従うと思います。
    でも、体験する最中に自分で考えて、自分のものとして、
    次から自分なりにアレンジを加えていくと思います。
    もちろん、こちらでされている「実験」のようなものは、大切だと思います。
    そうした体験ができるのは素適だと思います。
    私のような財力も時間も限られている身にはできることではありませんから。
    また読ませていただきます。

  13. wander-z
    2009-01-23 23:27

    > kosyuさま
    ようこそいらっしゃいまし!
    いやー、こんな長文におつきあいいただきありがとうございます。言葉尻ではなくkosyuさまのようにエッセンスをくみ取っていただけると苦労した甲斐があるというものです\(^o^)/
    このブログは果たしてどこへ向かっていくのか、そもそもアウトドア系ですらないつもりだったりオピニオン系?にしたいわけでもなかったりと自分でもさっぱりなのですが(笑)、まぁひとつよしなにどうぞよろしくお願いしますです。

  14. wander-z
    2009-01-23 23:52

    > まーみぃさま
    なるほど!と言いますか、いやほんとにおっしゃるとおりです。その道具なりスタイルがどういうリスクに対処していてどういうリスクをあきらめているものなのか?メリットとデメリットは何なのか?それさえ押さえておけば、怠惰にどれかの意見に頼ってしまって楽しむほうに専念するのが賢いやり方というものですね!
    スキーベンチャーの件ですか、あいやー、それこそまさに夜も眠れぬ日々を過ごした悩みの種の問題児ですよ(笑)
    まぁあれはスノーハイクのための歩行具としての検証がメインだったので、滑走はもしできればラッキー程度の思惑だったのですけれども、まぁ結果は見ての通りでございます。というよりも何より「もし滑れてしまったらどうしよう」という恐怖?で悪夢で寝汗をかくくらい悩まされてですね、滑れるかどうかはスキルの問題だと思うのですけれども、それで実際に「滑る」という意思決定をするかどうかはまさにリスクマネジメントの領域になりますからね。本当に自分でもほっとしてますよ、滑れなくて(笑)。
    まぁ仮にゲレンデでの練習の結果滑れたとして、山に入って「滑る」という意思決定をしたとしても、視界の良い緩やかな斜面を選んでシールつけたままスピードを殺して斜行しながらターンごとに停止して、というまだるっこしい降り方になると想定はしていましたけれどもとはいえもたもたしていると雪崩の危険性も出てくるわけですしいずれにしろどこかで腹をくくる必要がありましたからね。BCはベテランであれば安全かというとそんなわけはなく皆さんボキボキ骨折ってますしね。まぁたぶんちょろっと滑ってみて感覚を確かめる程度に留めていたと思いますよ。
    で、歩行具としても重たいばかりかシール張り替えたりアイゼンはめたりアダプタの装着がめんどうだったり、どうも歩行だけでも筋肉の使いどころが微妙にあれだったりとイマイチなところが山積だったりするので、ちょっと彼の件は今年は塩漬け状態にしてますよ。いずれゲレンデでハードブーツで試してみたい気もしますがビンディングのセーフティ機構もないのでそこも心配ですし、とはいえまた買い直すはめになるのかと思うとうーむ、、、
    財力が必要なのはまさにそうですね、そのあたりのタガが外れてないと(笑)

  15. wander-z
    2009-01-24 20:37

    ちょこまかと本文に追記をしつつ、さっき「岳人」とかいう雑誌を立ち読みしてたらちょうど「脱ビギナー宣言!雪山なんとか」みたいな特集やってたね(ってこのタイトルはありか!?)。危機管理についてもページを裂いていたけど、ここで書いた内容とシンクロする部分もあれば対立する部分もあったり、ふーむ面白いなと。だからコンロをひっくり返したからと言ってどんな危機的状況に見舞われるのかと!(笑)

    話は変わるが、
    ネットが普及し情報の非対称性が崩れ、”知”のあり方自体にパラダイムシフトが起きてフラット化しつつあるこのご時勢では、お山のナレッジやリスクマネジメントのあり方自体もその波から逃れられるわけでもなく。

    まぁそんなところでお後がよろしいようでm(_ _)m

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